マインドフルネスとは、

マインドフルネスとは、

マインドフルネスのルーツは日本の座禅にあると言われています。

その座禅には、只管打坐を唱えた福井県永平寺の道元禅師(曹洞宗)と、日本禅宗の祖と言われ公案を唱えた栄西(臨済宗)との二派があります。マインドフルネスは公案を用いる事はありませんので、宗教的な事を排除して参加者の心を整えていく事にスポットを当てた手法になります。

私たちの住む現代社会はストレス社会と言われています。その現代社会ではストレスから逃れる事はできませんので、複雑に変化を繰り返して行く社会構造の中で、多くの人が常にイライラしている状態になっていると思われます。

そのような中にあってもマインドフルネスを取り入れる事により、ストレスから逃れる事を考えるのではなく、ストレスの中にいても自分らしさを失わずに、自分らしく生きていく事が出来ます。また、その延長上にうつ病や不安症(不安障害・パニック障害)、強迫神経症等で悩む方々をサポートする事が可能になるのです。

マインドフルネスの真髄に触れる

今回はそのマインドフルネスの原点である、中国の禅宗の初祖である達磨大師に付いて、また道元禅師の唱えた只管打坐に付いて眺めて行きながら、マインドフルネスの真髄に触れてみたいと思います。その中で本編をお読みいただく方がより深く・より広くマインドフルネスの真髄を掴んでいただき、より多くのうつ病や不安症(不安障害・パニック障害)、強迫神経症等で悩める方々のサポート活動の糧になる事を願っています。

達磨大師像

中国の禅宗の初祖 達磨大師とは

中国における禅宗の初祖・達磨大師は今から1600年ほど前、南インドにあるカンチープラム(香至国)の第三王子として誕生し、幼名は菩提多羅(ぼだい たら)といいました。

若い頃に父である国王が亡くなり、菩提多羅王子は国政を二人の兄に頼み、お釈迦様から二十七代目にあたる般若多羅尊者のもとに出家し、『菩提達磨』の僧名を頂きました。

師について修行すること四十年に及び、般若多羅尊者から釈尊正伝の第二十八代目を継承しましたが、師より「六十七年間はインドを布教し、その後に中国に正法を伝えなさい」と遺言され、それに従って老年になってから、海路を三年かかり中国・広州の港に上陸しました。

そして梁の武帝と問答し、縁かなわず揚子江を渡って洛陽の都のはずれ、嵩山少林寺の裏山の洞窟に住み、面壁九年の坐禅をするうちに求道者・神光が現れ、その熱意に感じ中国で始めて弟子をとり、慧可と名付けました。

この慧可にすべてを伝え、中国に禅宗の基礎を築かれたのですが、その教えを理解できない者たちによって毒殺され、熊耳山定林寺に葬られました。

出典:高崎市少林山達磨寺のホームページより

高崎市少林山達磨寺

達磨大師禅の思想

中国の禅宗の初祖・達磨大師が、禅の神髄を端的に言い表した内容が「達磨大師の四聖句」と言われています。現在でも、その事を大切に受け継いで今に至っています。その達磨大師の四聖句とは以下になります。

「不立文字」 「教外別伝」 「直指人心」 「見性成仏」

この四聖句から、達磨大師の神髄に触れながら、マインドフルネスの神髄に触れていきたいと思います。

四聖句の伝えることは、経典や言葉にたよることなく(不立文字)、説かれた言葉以外に真理が存在し(教外別伝)、仏性をもつ本来の自分に気がつくこと、それが悟りである(直指人心、見性成仏)ということになるようです。そこで大切な事は、この四聖句はそれぞれ別々に独立したものではなくて、それぞれ密接なつながりを持っていることです。

以下に順を追って説明していきます。

「不立文字」

悟りの境地は文字では言い表すことの出来ない直接的な経験(純粋経験)になります。

それは、その経験をしたもの(観じとったもの)しかわからない経験になります。ゆえに、

その内容や感覚はその人にしかわからないので、伝える事や言い表すことが困難な事になります。このことから、禅は心をもって心を伝えると言う事から、弟子が師匠に口頭でその内容伝え、代々伝承していくこと重視しています。

マインドフルネスを繰り返すことによって得られる境地(気づく・観じる)も、

実践する各々が得られる事であって文字で表すことが出来ない純粋経験であると捉えています。その事を、参加者からまた指導者からセッションを通じて、参加のそのたびに参加者により沿った内容を口頭で伝え、受け継いでいくこと重視しています。

「教外別伝」

「教外別伝」禅の真髄は、経典の内容を越えたところにある!

禅宗では、釈尊の示された以心伝心の教えを教外別伝と言っています。わかりやすくいいますと、釈尊の教えを教内の方といい、以心伝心(ことばでは表わせない悟りや真理を心から心へと伝えること)の教えを教外別伝と言っています。

他の仏教の宗派は経典を中心とした数学を行っているようですが、禅の場合は経典を中心とする事は多くはありません。それは、悟りを得る為に様々な経典や、先人の著作物やその語録などを読んでも、肝心要なところ(以心伝心の教え)では役にはたたない事があるようです。と言っても、それらのものを否定しているものでもありません。大切な事は、どんな経典であっても、その内容に囚われず束縛されないことが大切になると言っているのです。その事が、ありのままの自分の眼をもつことにつながって行く事になります。

道元禅師はここの事を例えて、

「百人の僧侶がいれば百の経典が出来る」と言っているようです。その為に、文字に書かれたもの、経典や祖師の残した書物や語録にも、一切とらわれないようにすることが、とても大切になります。

たとえば、あなたが車の運転を習うとした場合、いくら教則本を繰り返し読んでも、絶対に上手に運転ができるようにはなりません。それは、その教則本が悪いのではありません。そこで他の物に変えたところで、運転が上手になることはありません。上手に車の運転が出来るようになるのには、自動車教習所などで直接指導員に指導を受けながら、繰り返し練習、実践しなければ、どうにもならないのである。

早い話、マインドフルネスもそれと同じです。

市販されている書籍や参考テキストなど、最近ではインターネット等もありますが、それらを読めば・又見れば、その雰囲気は何となく、つかめたような感じになるかもしれません。そして時として安易に指導者になったような気分を感じることがあると思います。

しかし、マインドフルネを体得した指導者の基で繰り返し・繰り返し実践し続けて行かなくては、奥深いマインドフルネスの真髄を掴む事は出来ません。

「教外別伝にある」、それは市販されている書籍や参考テキストなどの内容を絶したところにあるといって過言ではありません。

「直指人心」

「直指人心」あれこれ考えずに、じかに自分の心をみつめよ!

いたずらに、眼を外に向けてもあれこれと模索しても時間の無駄で埒(らち)があかない。あれこれ考えずに自分自身の心を見つめよ、と言っているのです。

ところで、じかに自分自身の心をみつめよ、といったところで心とはどうゆうものなのでしょうか。

不生禅を唱えた禅僧、盤珪(ばんけい)は

「人間の心とは、本来、鏡のようなものである」と言っています。盤珪によれば、人間の心は、きれいな物を映すと、それが映されるとの事です。汚い物を映すと、そのまま汚いものが映し出される。そのような鏡が人間本来の心の正体であると言っています。鏡であればこそ、きれいなものであれ、汚いものであれ、当然、なんでも映しだしますが、鏡の本来の価値には全く何の変化もありません。その事を忘れ、執着するからこそ、心の鏡が曇ってしまうだと説いています。その曇りから迷いが生じて、いろいろと悩むことになるわけであると言っています。その為にまずは、自分の心を見つめ直す必要があるのだと説いています。

マインドフルネスは、

自身のこころに・自身の脳裏に浮かび上がってくる、日々の様々なストレスや不安や嫌な思考、また身体的な変調などを、あれこれと考えず・膨らませずに静かに眺めて静観せよ、ということなのです。そして、静かにゆっくりと息を吐いていく事を繰り返すことを説いています。このことを、繰り返して行って先に結果として「自分のこころを見つめる」事となります。

「見性成仏」

「見性成仏」仏性に目覚めればおのずと仏になる!

達磨大師の四聖句の最後の句であり、最も重要なのが見性成仏になります。

この見性成仏の句が現れた最古の文献は、臨済の師であった黄檗(おうばく)の『伝心法要』にあると言われています。「ここに至ってまさに知る。祖師(達磨)が西よりきたり、直指人心、見性成仏は言説にあらざることを」とあります。

見性成仏とは、自分が備えている仏性に目覚めれば、仏に成るという意味です。仏になるとは、結局、本来の自分に戻ることにつきます。本来の自分に戻ることが、禅の本質です。

坐禅を通して、直指人心、見性成仏する。

一人一人がそれぞれ本来の自分に返るのです。そこで初めて本当の意味での個性(自分らしさ)が発揮されるのです。だからこそ、悟りに至る体験は人それぞれで違うのです。そう言う意味でも、禅は実際に体験しなければ話にならない。その為にも、正しい師匠に付く事が不可欠になります。

禅は理屈ではない。頭で考えたり、覚え込もうとするものではない。禅の悟りというものは、自分の身体の中にすでに備わっている。それに、どう気付きくのか、自分の備わっている本来の自分を確認する作業が禅になります。

 マインドフルネスは宗教ではありません。

そこで坐禅に出てくる「見性成仏とは」とか、「仏性に目覚めれば」とか、「仏に成る」とか、という事を説いたり・言うことは一切ありません。

マインドフルネスは自分らしく生きる

「自分らしく生きていく事」を目標に掲げています。只、「自分らしく生きていく」とは、自分のおもいどうりになったり、自分の好き勝手に生きる事とは違います。自分らしくとは、一見簡単に出来るように思えますが、現代のストレス社会の真っ只中ではとても難しい環境化にあります。

例えば、お仕事や家事育児等の様々な活動を、一生懸命に行っていても「自分は何のために生きているのかが、わからない」とか「生きがいや、張り合いを感じない」方が多い現実があります。そんな現実は、砂をかむような日々だと思います。少なくとも、そんな日々は自分らしく生きて行く事とはかけ離れているのではないでしょうか。

その時々に、自分の置かれた環境や境遇を、嫌悪したり・悲観することなく、自分の置かれた環境や立場・境遇を理解しながら、自分の役目・役割を果たしていくことが出来れば、「自分なりの生きがいや、張り合いを感じる」事が出来ます。そのことが結果として「自分らしく生きて行く事が可能になります。

奇妙に思われるかもしれないが、

禅の悟りは特別な体験であり、しかも特別な体験ではない。

あくまでも、本来の自分に戻り、本来の面目そのものになりきる事だからです。結局、当たり前のことに過ぎないのだが、その当たり前の事が非常に難しく、かつ限りなくありがたい事なのです。

達磨大師は、無功徳を示された。確かに無功徳であるが、それは同時に、なにものにもかえがたい功徳そのものです。

初心者がマインドフルネスに取り組み始めると、

次第にざわざわしていたこころが落ち着き始めてきます。すると、自身の気が付かなった事に次第に気づいて来るという事が起きてきます。その事に驚いたり・焦ったりすることがあります。「何故なんだ」とか「どうしたのか」と思う事です。

その事をこころ静かに眺めてみると、特別な事ではなく「当たり前の、ごく自然な事」であることに、気づかされる事が多々あります。そこで、さらに冷静にその事を眺めなおしてみると、今まで自身が気付かなかっただけの事だと言うことに、気づかされる体験を繰り返して行きます。

普段の生活の中では、当たり前のことに過ぎないのですが、その当たり前の事に気づかされる事が非常に難しく、かつ限りなくありがたい事なのです。

その繰り返しの中で、本来の自分に気づき、本来の自分に戻り、本来の姿そのものになることに、つながって行く事になります。そして、自分らしく生きて行く事が可能になります。

その事が、マインドフルネスで言う「自分らしく生きる」、「自分らしく生きていく」事になります。

達磨大師は「禅の無功徳を示された。」と言われていますが

「本来の自分に戻る」、もともとの自分にもどる(帰る)のだから無功徳と言うことはマインドフルネスにも通じることです。

それは同時に、なにものにもかえがたい功徳そのものです。と達磨大師が言っているように感じています。

マインドフルネスは宗教ではない。

 私たちは、マインドフルネスを知らない人たちの為に、マインドフルネスを理解していただく為に色々な手立てを用います。しかし、マインドフルネス自体に形や方式等がない為に、理解していただくことに苦心する事が多々あります。そんな時に、仏教用語や坐禅や只管打坐を引用させていただきます。

 しかし、私たちが行うマインドフルネスは宗教ではありません。その事を具体的に言いますと、宗教とは以下に引用させていただきました要件があります。私たちが行っているマインドフルネスにはその要件がありません。(宗教的な活動は一切行っておりません。)

宗教とは、

一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。なお広辞苑では「神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事」としている 

・宗教団体の要件

○ 教義をひろめる

宗教には教義があります。それを人々にひろめる活動をしていなければなりません。

○ 儀式行事を行う

  宗教活動の一環として日頃から儀式行事が行われていなければなりません。

○ 信者を教化育成する

  教義の宣布によって信者を導くことが行われ、信者名簿等も備わっている。

○ 礼拝の施設を備える

  邸内施設ではなく、公開性を有する礼拝の施設がなければなりません。

これらの要件は、宗教法人が存続するための条件でもあります。

出典:文化庁‐宗教法人運営のガイドブックより

マインドフルネスのデメリット

マインドフルネスには多くの利点がありますが、いくつかのデメリットも存在します。

・効果を実感するまでに時間がかかるため、即効性を求める人には向かないことがあります。

・正しい方法で実践しないと逆に不安感が増す場合もあります。

・過去のトラウマ等を持つ人は、ネガティブな感情が強くなる可能性があります。

・継続的に習慣化にするには時間と努力が必要であり、多忙な人には難しい場合もあります。

・科学的な裏付けが増えているとはいえ、症状によっては専門的な治療が必要なケースもあります。

※ 書籍やインターネットの情報を鵜呑みにするのではなく、マインドフルネスの事を熟知した指導者の下で行うことが大切になります。

マインドフルネスのエビデンス(効果の検証)

マインドフルメイトのエビデンス

マインドフルメイトでは、過去10年以上の活動データを基にエビデンスを制作しています。 その方たちは、うつ病や不安障害・パニック障害等の症状で悩む方々になります。 私たちは、それらの方々の苦しみの声に真摯に耳を傾け、その人・その人に相応しいマインドフルネスを提供してきました。

その結果が、10年間で600名以上になっていますのでその集約をマインドフルネスのエビデンスとしています。

以下をご覧ください。 (クリック)https://mindfulmate.jp/evidence/

マインドフルメイトの相談会

マインドフルメイトでは、マインドフルネス心理療法を用いて、精神疾患の治療及び予防を行っています。 その対策や予防が出来ずに過ごしてしまうと症状が長引くと仕事ができない、思うことができないと苦悩したり、悪化すると自殺したい、消えたいなどの気持ちが出てくる人がいます。 マインドフルネス心理療法は、アメリカの臨床実験により、うつ病や不安障害やパニック障害やPTSD、摂食障害(拒食・過食)、依存症、家族の不和などに効果があることが確認されています。

以下をご覧ください。 (クリック)↓ https://mindfulmate.jp/conference/

この記事は以下の方が執筆しています。

佐藤福男
〇資 格 : マインドフルネス瞑想療法士(マインドフルネス総合研究所)  マタニティー / 0才児 指導者資格(幼児開発協会)  一般旅行業取扱主任者(国家資格)  〇役  職: 非営利型一般社団法人マインドフルメイト代表理事・ マインドフルネス学校 学校長

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